自己満足ブログ。

メンタルへらってる女です

専業主婦 vs 共働き

自分のライフプランを最近よく考えている。

「もし結婚したら、専業主婦になるか、共働きにするかどうか」問題。

私は専業主婦になるのが夢だった。それはもう何年も前、大学生のときからそう思ってた。就職してもちょっとだけしか働きたくない。お金稼いでくれる人と結婚する!私は家事を頑張る。そして可愛いMyBabyのお世話をするんだ。韓ドラでも見ながら掃除機かけたり洗濯したり夕飯の支度をしたり。最高な怠惰生活を送るんだ。私の思い描いていた夢はそんな生活を送れることだった。

でも最近。仕事初めてから思ったこと。

「自分のお金欲しくね!?」

専業主婦って旦那さんのお金で生活が保証されているから、楽といえば楽なんじゃないかなと思う。でもさ。人のお金使うのってめちゃくちゃ気を遣う!!
「旦那は旅行が嫌いだから行くのやめよう…」
GODIVA食べたいけど旦那は甘いもの嫌いだからな…無駄遣いしてるって怒られちゃうよね…買えないな…」
窮屈な生活!!専業主婦って、自由そうに見えて実は旦那の顔色を伺わねばならないきつい''職業''なのでは?自分の好きな物を買えない。なぜなら、旦那が稼いできたお金を有難く使わせてもらってるだけだから。

それに離婚したりでもしたらもう大変。再就職しなければいけない。専業主婦はブランクがあるから、就職先は限られる。資格でもあればまだいいけど、私はほとんどない。入社していた会社をやめていなければ、貰えるお金は増えていたはずなのに。そんな後悔と貧乏によるキツすぎる生活がstartする。

…専業主婦って詰みなのでは??

そう思ってからは、私は仕事を辞めたくなくなった…。確かに仕事行くのはめんどくさいけど。専業主婦よりか良いだろ、って思って。

大勢の人がいる空間というのが

とても苦手だ。

私の頭はおそらく相当に悪いので、ポンポン飛んでいく会話のキャッチボールを自分の眼で追うことができないのだ。

 

友人が〇〇の話題について話している。その話題について口を開こうとしたら、別の友人が発言をする。そしていつのまにか、話題が移り変わっていく。

 

私は全然会話に加わることが出来ず、愛想笑いを浮かべるだけ。「早くこの空間が終わらないかな」とかしょうもないことを考えながら、気まずい時を過ごす。

 

大人数の飲み会とか、集まりだとか。そんなものが私は苦手なのだ。

 

このコミュニケーションの取れなさは、自分でも嫌というほどに自覚していて、だからこそ人の大勢いる場所にはいきたくなくなってしまう。

 

「翔子ってさ、二人でいるときとみんなといるときでだと全然キャラが違うよね」

そんなセリフを、彼氏から言われたことがあった。

実際、彼氏といるときの私は比較的自分を解放出来ている(はずだ)けども、そこまで仲良くもない人たちとの会話にはほとんどくわわれていないからだろう。「みんなでいるときめちゃくちゃおとなしいもんね。内弁慶ってやつ?」なんて笑いながら言われていたのを思い出した。

 

正直「うるせえ」と思った。

なぜなら、図星だったから。

指摘されたくないことだったからだ。

 

本当は、今日もグループで飲み会、というのがあったのだけども断ってしまった。

何も予定がないのに、「急用が出来ちゃったんだ💦」だなんて言って。

 

これだから私はダメ人間なんだろうな。

死にた…。。

 

トモダチ?

本当の友だちってなんなんだろう…。
学校で同じグループだったけど、卒業してから会わなくなった子。
在学中は時々話していたけど、卒業してから会わなくなった子。
そんな子の顔が浮かんでは消え、また浮かぶ。
あの子たちは私の「友だち」ではなかったのかな。
私自身が面白くない人間だとは自覚しているけども、関わるきっかけがなくなると同時に人と人との繋がりって簡単に切れてしまうものなんだなって思う。
それもまた人間関係…なのだろうか。
Instagramを見ていたら、私以外の子たちはみんな「高校時代のお友達とご飯行きました!」とか投稿したりしている。
私には、そんな子ほとんどいないのになあ。
いいねを押しながらも、自分の不甲斐なさとか寂しさとかを噛み締めているよね。

私の身の回りにいる人間なんて
彼氏、親友、家族以外いないのです…。
サークルの先輩後輩、大学の同期、バイト仲間みたいな方々がいない。
人間関係の希薄さよ…。

いっつあすもーるわーるど

親友ちゃんと通称夢の国と呼ばれているディズニーランドに行った。もうすっかりクリスマスモードできらきらした世界が目に飛び込んでくる。カワイイ!無我夢中で写真を撮りまくった。今回の記事はその備忘録。

 

① ワールドバザール

 クリスマスツリーがでん!と置いてあってそれだけでも迫力あったしテンションはもうアゲアゲ(語彙力)。ツリーがくるくるしたリボンで巻かれてあったのもおしゃれでした。そしてさらに、プロジェクションマッピングもやっていた。暗くなったかとおもったら、パアーッと輝いて、ワールドバザールの壁がそのものが生きているかのような躍動感(?)を感じた。入った瞬間コレよ……さすがウォルトディズニー様。わくわくさせてくれるじゃないの!唐突に創始者を褒めたくなる私氏。インスタ女子たちが動画を撮っていたから私も真似した。ブレブレで残念すぎた。

 

トゥーンタウングーフィーのペイント&プレイハウス→ミニーの家

 木箱撤去問題で話題になったトゥーンタウン。本当はスペースツアーに行こうとして迷子になってしまったのでこちらに来た。地図オンチかよ。でもこっちにきて大正解!たくさんカワイイ写真(当社比)を撮ることができた。グーフィーのペイント&プレイハウス、行ったことも聞いたこともない場所だったけど、好奇心と映え写真を撮りたいので行ってみた。グーフィーのカカシが庭に刺さっていて、夜だったせいか不気味で幽霊みたいになってたwもちろんカカシくんとも一緒に写真撮りました。5分待ちだったからさくさく移動してさっそく家の中へ入る。

並んでる人たち見て、「あ、ちょっと違うかも」と思ってしまった。ほとんどが小さい子連れのファミリー。私と親友ちゃんみたいな成人済み女性ペアはほとんどいない。場違い感…でもそれに屈する私たちではなかった。順番がきて、絵の具を打つ銃を渡される。気分はスナイパーよ。グーフィーの家に無言でガンガン絵の具を打ち込む。的?とかないから無心だったね……二人とも沈黙だった。最後は成功したんだかしてないんだかわからない状態で終わった。小さい子は楽しいのかもしれない。知らんけど。

次にむかったのはミニーちゃんのおうち。よくインスタ女子が鏡台の前で夢見心地なポーズして撮っているのを真似たかったのだ。家の中に入るとラブリーな家具で埋め尽くされていて、圧倒的な「女子力」を感じたね。さすがミニーちゃん。私の387398462897340万倍以上は女子力ありそうや……。ミッキーのためにぬいぐるみ(ダッフィー)作ってあげたんだっけ?手芸もできるとか強いだろ……ネズミのくせに。解剖しちゃうぞ。

念願の鏡台の前で写真を撮る。でも、撮り方が分からない!!鏡の前であたふたしてた。撮ることには撮ったけど、インスタ映えというよりかはTwitter映えだった。まあ、私たちらしくていいのかも!後ろでは女子高生が「あくしろよ」と待ち構えてた。申し訳なかった。

 

エレクトリカルパレード

 to be continued...

 

年末大掃除

掃除をしていると思わず手を止めてしまうことってないだろうか?私はある。ついさっき、本棚を整理しているときに見つけたのだ。ほこりをかぶったそれを手に取る。通称赤本と言われているアレ。自分の第一志望だった大学の過去問題集。

懐かしさとともにどろどろした薄ら暗いものが私の胸内に流れ込んでくるのを感じた。……行きたくてたまらなかった大学。学園祭にも足を運んだなあ。結局落ちちゃったけどね。

浪人までさせてもらって、自分にしてはかなり努力した記憶がある。受けた私立はすべて合格したし、第一志望の試験のときも手ごたえを感じていた。受かった、そう思っていた。最後の最後で私は落ちた。自分の番号を何度も探した。どこにも見当たらなかったときの、頭がすうと冷えてくる感じを今でも覚えている。

大学受験に失敗したことなんて、人生の中ではたった1ページのようなささいな出来事かもしれない。でも、その1ページのせいで大きく転落していくことになるだなんて考えてもみなかったのだ。

大学でなら自分の興味のある学問を専攻できるというのは事実ではなくて、実際にはうんざりするようなつまらない勉強をする必要があった。私は辟易とした。難解な教科書から逃げるようにしてソーシャルゲームにはまっていった。単位をとるための勉強という、義務を怠ったのだ。大学受験を終えてからも苦行のような勉強をしなければいけないのは、私には耐えられなかった。

義務を怠った人間の行く末なんてものは分かり切ったものだろう。

赤本を黙って本棚に戻す。今やこの本は、私の転落人生を彩る悲劇的なシナリオだ。いつになったら喜劇へと化すのか。ハッピーエンドを渇望したいけどもきっと悲劇のヒロインが似合う私は再び掃除の作業に戻った。

 

 

クリスマス

「はい、これ交通費」

渡された紙幣に描かれた顔は渇望していた福沢諭吉ではなく、野口英世の顔だった。お情け程度の1000円札が私の顔に突き付けられる。ありがとうございます。私は笑顔でそう言って、客の手から今日の成果を受け取った。

出会ってから約一年。

最近の客の金払いが悪くなっていることに、私はすでに気づいていた。

まあ、元々分かっていたことじゃあないか。おもちゃを手に入れた子供は、手に入れた瞬間に興味をなくす。飽きがきたら、ポイ。私は彼にとってはいくらでも代えがきくおもちゃみたいな存在だ。だから、多少ぞんざいにあつかってもいいや、壊れてもいいや、どうせ金さえだせば新しくおもちゃは手に入るし。彼がそんな考えをしているであろうことは想像に難くなかった。

駅につきホームを歩いていると、冷たい風が頬を刺す。私はマフラーに顔をうずめてポケットに手を突っ込んだ。

自分はもともと大切にされるような人間ではない。こんな雑な扱いでもへらへらしてしまうくらいには、自尊心もない。……どんどんこんな自分のことが嫌いになっていく。

私にはなにもないから今の位置にしがみついているけども本当は早く終わらせたほうがいいのかもしれない。これ以上無駄な時間を過ごさないためにも、そしてこれ以上自分を嫌いにならないためにも。

電車がきた。『各駅停車』と書かれた黄色い車体が目前に迫る。うん、ゆっくりでもいい。ゆっくり自分と向き合って、これから自分を認めてあげよう。

音を立てて開いたドアの向こうに、私は一歩踏み出した。

 

馬鹿者の生き方

向上心のないものは馬鹿だ。

 

夏目小説の小説『こころ』の有名な言葉だ。向上心……か。耳の痛い話だ。私は馬鹿なんだろうな、と思う。

 

近頃、物事に対しての興味が薄くなっているように感じる。昔は心を動かされ感動したり、理不尽な出来事に怒ったりと、感情の起伏も激しかった。でも今は薄いガラスのような透明な壁から過ぎていく日常を眺めているだけで、動かされるものが何もない。自分の生活を他人事のようにとらえてしまっているという感じ。でも、そこに満足してしまっている自分がいるのも確かで……。

 

多分、私は自分の人生を楽な方へと導いてしまっているのだ。

 

波風立たぬ人生ならば、それで良い。人に嫌われるよりかは関心すら持ってもらえないほうが、良い。刺激の少ない方へと、なるべく楽な方へと、生き方を変えていってしまっているのだ。

 

今の自分の生き方も、ある種の生存戦略といってしまえばそうなんだけども、このままではいけない気がする。日々の出来事に鈍感になっているのを時と共に自覚しつつある。自分は今ニンゲンらしい生き方を出来ているのか?そう、毎日自問している。

 

『向上心のないものは馬鹿だ』。平坦な道をダラダラと歩くのは楽だし疲れない。しかし、山に登ると目標を定め達成するのは、きっとやりがいがあるし楽しい。馬鹿野郎にならないためにも自分の人生に向き合い、向上心を大事にして生きていけたらいいなと思う。