自己満足ブログ。

メンタルへらってる女です

やさしい麦茶

今日初めて『やさしい麦茶』を生協で買った。650mlも入っていて、約100円。非常にリーズナブルな値段だ。

 

どうでもいいけどこの麦茶、何をもってして自らを『優しい』と評しているのだろう?

 

財布に優しい?味が優しい?まあなんだっていい。でも、正直に言ってしまうと、『優しい』を自称してしまうのって、うさん臭さが増すような気はしないだろうか……。買った客が『これは優しいお茶である』と評価していればどこか信ぴょう性を持たせることができるけど。データも客観性もない判断で下された自己評価って信じがたい。「僕のチャームポイントは優しいところだよ!みんなからはなんて言われてるかはわからないけど!とにかく優しい!彼氏に最適じゃない?」みたいな口説き文句の男がいたら即効でノックアウトだろう。

 

ネーミングセンスはあまりいただけないけど、実際この『やさしい麦茶』、悪くはない。濃度がかなり薄めで、それを『優しい』と主張している点が耳障りの良い言葉に置き換えている感が半端ないけども。私は優しいからそこは指摘しないでおこう。値段も安いしまた買ってもいいか、と思いまた一口お茶を飲む。

好き、って言われる

『愛している』とか『好き』と、言葉で言われることが苦手だ。普通の人なら言われて嬉しいはずなのに、何故だろう。人から大事にしてもらえるほど自分に価値がないと思いこんでしまっている、というのも理由にある。しかしそれ以上に、『言葉で好きと言うのは簡単だけども、本当に好きかどうかなんて分からない』という疑心が勝ることが主な理由としてあげられる。

『好き』と言う事によって、彼にどんなメリットがある?女をロマンチックな気分に酔わせてそのまま性行為に及ぶラッキーチャンスが出てくる?とりあえず『好き』『愛してるよ』って言っておけば女は満足するだろう、と馬鹿にされている?私は馬鹿にされ性欲処理をする玩具として扱われている?

そういった疑念ばかりがぐるぐると頭を回り、素直に受け止めることが出来ないのだ。

真実の愛なんてものは果たして存在するのだろうか……。近頃ずっとそんなことを考えてしまう。愛されることが恐怖。彼との愛をずっと信じていたのに、後に偽物の愛だったことが発覚。そんなことになったら笑えない事態だ。そんなクスリともしないブラックジョークのような惨劇に陥る前に、私は保険をかけてしまう。保険とは、愛なんてものを信じるのはやめる、という考え方のことだ。石橋を叩く前から『この橋は壊れるに違いない』と恐れ、渡ることを放棄し、水面をぼうっと見つめることしかできない。私はよく、周りの人が渡っていくのを見て『どうせ壊れるのによく渡れるものだ』と嘲笑する。だが一番滑稽なのは、何も行動を起こさないのに他人を馬鹿にすることでしか面子を保てない自分なのだ。よく分かっている。分かっているけど行動にうつせない。

『我思う。故に我あり』という言葉で有名な哲学者にデカルトという人がいる。彼もまた全てのことを徹底的に疑っていた人間だった。目の前にあるリンゴは存在しているか?そもそも、自分のいるこの世界は本当に存在しているのか?そうしてたどり着いたのが『自分の存在だけは確か』という結論だった。私個人の感想としては孤独な考えだ、そう感じた。自分以外のものを全て信用しない、という私の考え方と酷似している。この人は幸せな人生を送れなかったのではないかと勝手に想像してしまう。

人を信じること、愛されること、愛すること。全部幸せへの近道であることは確かだ。でもその近道は同時に危険な道だ。自分にはとてもじゃないけど渡ることはできない。『愛してるよ』と幸せが手招きしていても『それは私を罠にはめるための戯言だろう』と憤慨してしまう。こんな天の邪鬼な性格では、幸せになれるはずもない。愛されたいけど、愛していると言って欲しくない、偽物の愛なんていらない。真実の愛だけがほしい!!真実の愛なんて信じてないくせにそう渇望してしまう。自分はなんて浅ましい人間なんだ。オチは特にないです。

どうしようもない。

女子会をした。
といっても、わいわいやるタイプのものじゃない。ひたすらに愚痴と欲望をぶちまけ合うだけのものだ。
大学を卒業したらエリートと結婚し、専業主婦になりたい友人と私。『結婚したい』『幸せになりたい』とひたすらに口に出していた。
そんな空虚な女子会だけども、パフェを食べてオシャンティな街を散策して自撮りをしてそしてインスタにあげる。ハッシュタグにはマウンティングのための用語。私らはリアルが上手くいっていない人間だけども、周りの人間からは『楽しそうだな』と思わせたかった。

……なんだか、虚しい。自撮りをしながらふと思った。かわいい格好をして、『私たち、幸せです♡』みたいなオーラを無理やり出し、かわいくない顔をひたすらに盛りまくった写真は100枚を超えた。その中から特に映りのいいものを厳選しSNSにあげて自己啓示。本当のキラキラ女子の足元にも及ばないはずなのに、スマホの中だけではキラキラしたい私。可哀想だ、なんか笑えた。

メンヘラは人を不快にさせるので、せめてネットだけでも自分のクソのような生活を赤裸々に示したいと思う。